未来を変えるという言葉の本当の意味2006/09/10

例えば

あなたの命はあと半年です。と医師に宣告されたとする。
この未来は変えられるか?
数か月程度は変えられるかもしれない。
しかし逆に早まる可能性もある。
なら一体そう言われた本人とその家族はどうすれば彼らにとって一番幸せなのか。
限られた命の中、それを模索するしかない。


例えば

運動能力がずば抜けて素晴らしく、野球選手を本気で目指して
高校も伝統的に野球が強いところに入った少年がいたとする。
しかしいきなりの事故で完全に視力を失った。
野球どころかほとんどのスポーツができない。
彼にはもう、パラリンピックの種目になるようなスポーツで
満足するしか道は残されていないのだろうか。


例えば

できちゃった結婚で生まれた子供が、運悪く障害児だった。
知能発達障害。ようするにおばかさんだ。
何をするにも介助が必要で、大人になってもとても一人で暮らせそうにない。
その子の親は年寄りになって死ぬまでその子の面倒を見なければならない。
もしくは施設に入れるにしても、障害者差別や虐待が待ち受けている。
この家族はどうしたら彼らにとって一番幸せなのか。



結局

理想の幸福を阻む決定的な不幸に見舞われた人々にとって、
未来を変えるとは、
自分の意識を変えること
でしかない。

あきらめなくたって、人は死ぬ。
なら死ぬまでの時間、いかに心安らかに過ごせるか、考えなければならない。

あきらめなくたって、目は見えるようにならない。
なら目が見えない人ができる程度のスポーツをやっていけばいい。

あきらめなくたって、障害は治らない。
なら高等な理想は捨て、日々の小さな出来事に幸せを見出すしかない。

彼らはその不幸を受け入れ、計算に入れた上で、
当初考えていた理想とは違う、一段も二段も落ちた理想を
目指さなければならない。

それはあきらめたことになるのか。
それともあきらめたことにならないのか。



がんばれば何でもできるとスター選手は言った。
あきらめたらそこで終わりと。

じゃあ

余命半年と宣告された人を、20年30年生かし続けてやってくれ。
盲目の少年の目を見えるようにしてやってくれ。
頭の悪い少年の頭をよくしてやってくれ。


彼らを待ち受けるのは、涙で歪んだ未来。
本当の幸せを諦めた、偽者の未来。

リニュの季節2006/09/18

表のトップと他2つのブログ、リニューアルしてみました。とはいえトップはまだしも、ブログなんて色の組み合わせを変えたり、テンプレ差し替えたりするだけですが。しかし、ここだけはリニュってません。何故かってーと、すげえやりづらいから。まずテンプレが子供騙しのようなデザインがちょっとしかない。まぁ贋物置いてるダイアリーノートよりはましですが、あれは色の組み合わせが簡単に変えられますからね。こちらは色すら自由に変えられない。変えるにはややこしいCSSを解析して変えなきゃならないんですよね。画像はまだ、jpgとかの拡張子見て判断できますが、色となるともう数字でしかないから、えらいわかりづらい。なんつーか、もうちょい自由にできたり、せめてテンプレの数量を増やしてもらえませんかねー。いくら利用者のほとんどが接続会員で、無料サービスとはいえ、昨今はFC2とかライブドアとか、無料なのに機能が充実したブログ、たくさんありますからねー。ま、広告がほとんど入ってないのはいいんですが。

トップページのデザインは、まぁデザインというほどでもない、内容を羅列したものになってますけど、アバウトにも書いてある通り、ひたすら縦に長い携帯サイトを模したものです。素材は以前にも使わせてもらったことのある、透明感のあるイラストには定評があるLittleEdenさんのを、また使わせていただきました。少し切り貼り回転してありますが、この程度は規約で認められているようです。

贋物の方は、トップページのぶどうのイラストの「ワインレッド」「緑」「黄色」という色の組み合わせをそのままいただき、こちらはマットな感じでまとめてみました。これからの季節、いい感じなんじゃないかと思います。

推理汁の方は、ワインレッドを基本に、テーマとあまり違和感がないテンプレを選ばせていただきました。トップでふんぞりかえってる女性は私ではありませんので、念のためw

もふもふ2006/09/23

うちの2階に、勝手に住んでる猫が3匹いる。今年生まれた子猫なんだけど、親猫がすごい気が強い猫で、多分犬に食ってかかって逆にやられたんだと思う。ある日を境にふっつり姿を消した。そして3匹の子猫だけ残った。生まれは野良だから人間にはなついてないけど、あまりに可哀相だからうちで餌をやってるうちに、家の中は安全で暮らしやすいと気づいていついてしまった。親がいないから、その分兄弟仲がいい。しかも、父親が最近このへんを徘徊してる洋猫らしく、皆えらくスタイルがいい。
一番警戒心の薄いのは、グレーのしまもようの猫。一見アメショーっぽいけど模様が違う。普通のしまもよう。他の2匹は茶色。一匹はしまもようでもう一匹は模様なしのまっ茶色。まっ茶色の方の猫は、何故か尻尾だけふさふさ。皆手足が長く、尻尾もまったくくびれがなくってすらっとしている。雑種でなければペットショップの店頭に並んでてもおかしくないくらいのスタイルのよさだ。
子猫とはいえもう生まれて半年以上はたってるので、食べていくのには困らない。ただ親猫がいきなりいなくなったのが寂しいらしく、この子達を邪険に扱わない大人の猫について歩いたりしてるのが涙ぐましい。
今まで毎年のように、うちの周囲で野良猫が何匹か子供を産み、育ててきた。でもその全部が全部、大人になるまで生きているわけじゃない。大人になってからでも、オスネコは本能的に発情期になるとどこかに行ってしまったりするし、近くにある国道で交通事故にあって死んでしまうのもいる。犬に襲われて死んだり、猫同士のケンカの怪我が元で死んだり、病死したり、縄張り争いに負けて姿を消す猫もいる。
猫ってのは、元々日本にはいなかったらしい。元々は山猫だったものを、太古の昔から人間が飼い馴らし、今のようにいろんな種類の猫がいろんな場所で飼われるようになった。というのも、穀物を食い散らかしたり病気が蔓延する媒体となったりするネズミを食べるからだ。神様として扱っていた地域もあるらしい。それだけ人間と親密に暮らしてきたのだが、うちの近所のありさまを見る限り、結構弱肉強食で自然淘汰されている感がある。人間がある程度餌をやっている状態ですら、そうなのだ。増えるからといって崖から投げ捨てる必要はどこにもないのである。
私はあれに関する記事はほとんど読んでいない。読めば読むほど気分が悪くなるからだ。何だか知らないがあの女、自分が神様になったとでも思っているのか。いろいろつらいこともあるかもしれないが、それなら自分が崖から落ちればすむことじゃないのか。作家と作品は別物というけれど、あんな女が書いた作品など、目を通したくもない。崖から落とせないならせめて、直木賞取り消してしまえ。えーと、そういうのどこから要望すればいいですか?